武甲山に伝えられている『ヤマトタケル』と 『スサノオ(八岐大蛇の退治)』の 3つ共通点を解説する!

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この記事では、

  • 埼玉県の横瀬町と秩父市の境界に位置する秩父のシンボル「武甲山」と伝説の英雄「ヤマトタケル」と日本神話である八岐の大蛇退治の英雄「スサノオ」にどんな繋がりがあるか知りたい。
  • 武甲山に武具(甲:かぶと)を納めたと伝えられている『ヤマトタケル』と日本神話「八岐の大蛇(やまたのおろち)退治」の『スサノオ』にどんな共通点があるのか知りたい。

とお感じの方の疑問にお答えしています。

なぜこの記事を書いたかと言うと、私自身、現代語訳された「古事記」を読んだことがありました。よく覚えていたわけではないのですが、山歩きをしたり、神社に参拝する機会がある時にだけ思い出す程度でした。

しかし、改めて県内にあって比較的身近な山である武甲山(ぶこうさん)のことを調べていたとき、

  • 武甲山山頂にある武甲山御嶽神社にお祀りしている御祭神がとても良く聞いたことのあったヤマトタケルだった。
  • ヤマトタケルについて調べているとき、古事記に出てきた「スサノオ」という神様に「あれ?コレって、ヤマトタケルとよく似てる気がする!!」っと感じた。
  • 「ヤマトタケル」と「スサノオ」について、知りたくなった。

という過去があったからです。

武甲山に伝えられている伝説の『ヤマトタケル』と 「八岐の大蛇(やまたのおろち)退治」の『スサノオ』の3つの共通点を解説する!

下記の3点について、いくつかの文献を元に見ていきながら、

  1. 「武甲山」と「ヤマトタケル」について
  2. 「武甲山(武蔵国:今の埼玉県・東京都辺り)」と「スサノオ」について
  3. 「ヤマトタケル」と「スサノオ」について

私なりにこれらの共通点を3つにまとめて解説していきます。

  • 共通点.其の壱:武蔵国の伝説のヒーローだった「ヤマトタケル」と「スサノオ」
  • 共通点.其の弐:凶暴な一面があった「ヤマトタケル」と「スサノオ」
  • 共通点.其の参:妻に恵まれた「ヤマトタケル」

共通点.其の壱:武蔵国の伝説のヒーローだった!

武甲山の名の由来は、「ヤマトタケル」?!

ヤマトタケルが父である第12代景行天皇の命令により、大和国から東国へ討伐のために出立し、推定でこのルートで進んだと言われる。(日本書紀より)

―伊勢―駿河―相模走水はしりみず上総かみつふさ陸奥みちのく日高見ひたかみ―常陸新冶にいばり―筑波―甲斐―武蔵上野かみつけの碓日坂うすいさか―信濃―美濃―尾張―近江伊吹山―伊勢能煩野

各所で色んな出来事があったことが日本書紀でも古事記でも語られていて他の書物にもあるようだが、簡単に言ったら「武蔵国」つまり今の埼玉県辺りを立ち寄ったとき、

武甲山に登ったヤマトタケルが石室(いしむろ)に自分の甲(かぶと)を奉納したということが由来となり、

蔵国で、を奉納された」=「武甲山

となったとか。

この頃の「甲」は、このイラストのようなものかどうかは分かりませんが、戦するにはとても大事なものである「甲」を奉納したということは、「鎮定祈願」ではなく、「戦勝記念」だったのではないかと思うのですが…

さらに資料やサイトを調べまくりましたら、日本国最古の歴史書と言わられいたりいなかったりする「ヲシテ文字」で「ホツマツタエ」にこのような一文がありましたよ。

ヤマトタケはこの度の戦いで、自分の先祖霊が必ずやスサノオであることの確信を得て、河合(かわあい)の野に大宮を建ててお祭りをし、ヒカワ(氷川)神を祭らせました。
戦勝記念に武器をチチブ(秩父)山に納めて、二月八日再び武蔵国を巡幸した時に人々が服(まつ)ろう印として、橘籠(カグカゴ)を家棟(やむね)に捧げて君を歓迎しました。事はすべて納まり平和がよみがえりました。そして、橘籠(カグカゴ)を捧げるのはホツマ国の世よの習慣となりました。

(出典)株式会社 日本翻訳センター 『ホツマツタエ 人の巻 ヤマトタケルの東征とオトタチバナ姫より』  http://www.jtc.co.jp  http://www.hotsuma.gr.jp

ここにある「チチブ山」とは、武甲山であると思われ、現在山頂にある武甲山御嶽神社は、ヤマトタケルが創祀したと伝えられるようだ。

 

このようなヤマトタケルの逸話が、長瀞町の宝登山(宝登山神社)、秩父市の三峯山(三峯神社)にも残っていて、両神社の公式サイトに分かりやすくイラストで書かれている。

私は、特に宝登山神社の「ご由緒物語」はイラストがかわいくて気に入っていますが、物語だけ引用させていただくと、

今からおよそ1900年ほど前、第12代景行天皇の御代のこと、日本武尊とその軍勢が東国地方平定の折、宝登山にのぼって神霊を拝したというお話しです。

尊が兵を従えて宝登山の麓へと進んで行くと、森の中に岩に囲まれた清らかな泉がありましたので、尊も兵も、この泉で「みそぎ」をして、身を清めました。

一隊は、頂上へ向かって登り始めました。が、しばらくすると辺りの様子がおかしいことに気がつきました。

そのうちに黒い煙がどっと吹き寄せました。山火事です。黒い煙は、あっという間に火の波に変わりました。

尊は兵をはげましながら、ご自分も剣を抜いて草をはらい、枝を切って猛火と戦いました。けれども火の勢いは強くなるばかり。

一隊は日の渦に巻き込まれて脱出することができません。尊のお命も危うくなりました。

その時、突然現れたたくさんの白い影、黒い影。影は風を切って、次々に猛火の中に飛び込んで行きます。影のように見えたのは、大きな白犬、黒犬です。

犬たちは、荒れ狂う炎の中、火を消し止めようと大活躍です。そのすさまじさ、ものすごさ、火の勢いは見る見る衰えていきました。

すっかり火が消えました。犬たちの見事な働きに尊も兵も我を忘れて感嘆していますと、犬たちは二頭、三頭、また五頭と尊の前に集まって、静かに歩き始めました。

さあどうぞ、頂上へご案内いたしましょうというように。頂上へ着くと、いつのまにか犬の姿はどこにも見えません。

影のように現れた犬たちは、影のように消えていました。「おお、やはりあの犬たちは“山の神様のお使い” に違いない。本当にありがとうございました。」

尊は、神様に対し、心から御礼を申し上げました。頂上からは悠々の天地が、広大、壮厳に眺められました。

尊はこの山を『火止山』ホドヤマと名づけられ、“神々をおまつりするのにふさわしい、お山” とされました。

『神籬』ヒモロギ(御神霊をおむかえするための標/しるし)

お立てになり、

  • 神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと/神武天皇)
  • 大山衹神(おおやまづみのかみ/山の御神霊)
  • 火産霊神(ほむすびのかみ/火の御神霊)

の三柱をおまつりになりました。

その後、ホド山は霊場として崇敬され、弘仁年中に宝珠が光り輝き、山頂に飛翔する神変が起こったことから

「宝登山」とも表される様になり、仏教、特に修験者の修行場として栄え、山麓には玉泉寺(真言宗)が開基されました。明治元年(1868年)の神仏判然令の後も神さまも仏さまもがそれぞれをたすけ合うかたちで今も宝登山に鎮まっています。

(出典)宝登山神社公式サイトより「ご由緒物語」

三峯神社は御祭神である日本武尊(ヤマトタケル)の像が境内にあり、驚く程大きかったのを覚えています。

(出典)三峯神社公式サイトより「御祭神・由緒」

 

ヤマトタケルは、上記の東国征伐の前に、熊襲征伐(西国)や出雲征伐を行い、多数の業績を上げており、大和朝廷の勢力拡大に貢献しています。それも、何と10代(15、6歳?)の若さだったと言います。このように、ヤマトタケルは、各地の征伐に成功し、休む間もなく、東国(蝦夷)征伐へ行くよう父である景行天皇に命令されます。

紆余曲折ありつつ、無事、東国征伐に成功し、帰路に着いたヤマトタケルは伊勢能褒野で力尽きる。その後、白鳥になって大和を指して飛で、棺には衣だけが空く残され、屍骨はなかったらしいが、ヤマトタケルが白鳥になって飛来した場所にお墓(白鳥陵)がある。

  • 日本武尊能褒野墓
  • 日本武尊(大和)白鳥陵
  • 日本武尊(河内)白鳥陵

これだけ各地を統制し伝説や像、お墓も3つ、古い書物に残っている

ヤマトタケルは英雄以外の何者でもないだろう!

「スサノオ」は武蔵国(埼玉・東京)で特に信仰が強い?!

さて、「スサノオ」とは、日本神話に出てくる日本を産んだとされる神様、伊弉諾神(イザナギノミコト)と伊邪那美神(イザナミノミコト)の子供にあたる三貴神、天照大神(アマテラスオオミカミ)・月読命(ツキヨミノミコト)・須佐之男命(スサノオノミコト)。

そう!この須佐之男命のことである!

そして、この「スサノオ」は、出雲国で「八岐の大蛇退治」をしたことで一躍英雄となった暴風の神で、厄払いの神様として信仰されている。

前述の「ホツマツタエ」には、東征時、見事に東国の鎮定を成したヤマトタケルは、自分が「スサノオ」の生まれ代わりであると確信して、武蔵国に氷川神(スサノオ)を祀ったとある。

また、氷川神社の社記には、

第13代成務天皇の御代に出雲族の兄多毛比売が朝廷の名により武蔵国造となって当社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威が輝き格式を高めたと伝わります。

(出典)武蔵一宮氷川神社公式サイトより(氷川神社について)

いずれにしても、武蔵国と出雲国には切っても切れなそうな縁がありそうだなあと個人的にも強く感じた。

特に、ダジャレのように聞こえるが、「氷川(ヒカワ)」の由来は、出雲の「斐伊川(ヒイカワ)」からきているとか!

斐伊川は、スサノオの八岐の大蛇退治でお馴染みの川か!

この斐伊川で八岐の大蛇を退治し、英雄になったスサノオが、巡り巡ってヤマトタケルと繋がり強い縁を感じ、出雲(島根)と武蔵(埼玉)が繋がり、武蔵一宮・氷川神社に祀られている。

武蔵一宮・氷川神社のご祭神は

  • 須佐之男命(スサノオノミコト)
  • 櫛名田比売(クシナダヒメ)※八岐の大蛇退治で助けられて、妻となった
  • 大己貴命(オオナムチノミコト)※大国主神という出雲大社の御祭神の6世の孫(ここも出雲つながり‼︎)

 

私の知っている埼玉県出身の方に聞くと半数以上の方が初詣や七五三詣などは氷川神社にお参りすると言っていました。日本人の場合、信仰心が強くなくても何かあると、神社へ行くし、それもやっぱり埼玉の方の身近には氷川神社があるのかもしれません。

なんと、氷川信仰という言葉もあり、これはスサノオ信仰のことで、東京都・埼玉県近辺に約280社の氷川神社がある!!とのこと。

埼玉県内にいる私も、何か縁を感じます。

この写真は、先日、氷川神社に初めて参拝いたしましたが、参道からとても気持ちのいい綺麗な神社で、さすが!!という感じでした。

草薙剣(くさなぎのつるぎ)は「スサノオ」から「ヤマトタケル」へ

8つの頭と8つの尾っぽを持つ大蛇(八岐の大蛇)を退治する際、尾っぽから剣が出てきた。この剣を姉・天照大神に差し上げた。

この剣が天孫降臨を経て、東国征伐で伊勢の倭国姫(ヤマトタケルのおばにあたる)のところに立ち寄った際、「もし窮地に陥ったら、これを開けなさい」と授かったのが、御嚢(みふくろ)と草薙剣だった。つまり、三種の神器の内の一つだ。

八俣の大蛇は、「古事記」の中でも代表的な話しで、出雲地方を中心とした神話伝承であるため、出雲神話とも呼ばれています。

またこの神話は、三種神器の一つである草薙剣の出現を物語るものとなります。

三種の神器とは申すまでもなく、八咫鏡・草薙剣・八坂瓊曲玉をいいますが、別に天璽とも総称されています。これらの神器は、皇位とともに伝えられてきました。

八咫鏡は天照大御神さまが天の岩戸にお隠れになったとき、思兼神が諸神に命じて、大御神さまを岩戸からお出しするため鋳造したものです。

現在、伊勢の神宮にお鎮まりになっています。

またこの話しに出てくる草薙剣は熱田神宮におまつりされています。

(出典)神社本庁公式サイト 八岐の大蛇より

こちらにとても分かりやすく動画の紹介もあるサイトを引用させていただくと…

クマソ退治

(中略)

オウスは童女に扮してその宴会に潜入し、クマソタケル兄弟の傍に座ることに成功する。
そして、隙を見て二人を打ち取った。その際、「強い男」を意味するタケルの名前を譲り受け、これ以降、ヤマトタケルと名乗るようになった。

出雲征伐

クマソから大和へ戻る途中、ヤマトタケルは出雲に立ち寄ることにした。
出雲が大和より権威があるかのような振る舞いをしていたので、命令があったわけではないが父のために出雲を懲らしめる必要があるとヤマトタケルは考えたのであった。

出雲のイズモタケルと揖斐川で対峙したヤマトタケルは、友情の証と称して互いの剣を交換した。
しかし、密かにヤマトタケルは自分の剣を木製の偽物にすり替えており、交換するやイズモタケルに切りつけてだまし討ちをした

伊勢のヤマトヒメ

出雲を従えたヤマトタケルは大和に帰還したが、今度は東国征討を命じられる。
父から疎んじられていると感じたヤマトタケルは、東国へ向かう途上、叔母のヤマトヒメに会うため伊勢に立ち寄り、その胸の内を明かす。
ヤマトヒメは、後の三種の神器となる草薙の剣御嚢(みふくろ)をヤマトタケルに渡して送り出した。

東征中にであった2人の姫

尾張の熱田ではミヤズヒメに出会いひと目ぼれし、東国平定を終えて戻った暁には正妃とする約束を交わす。
また、妻にして欲しいと願うオトタチバナヒメという姫にも出会い、正妃となることを約束した女性の存在を知った上で彼女は東征に同行した。

東征中の危機

駿河の焼津では、敵の罠に嵌り野原の真ん中で火に囲まれる危機に陥るが、ヤマトヒメから授かった草薙の剣と御嚢(みふくろ)に入っていた火打石を使って危機を脱した。焼津(やいづ)という地名は、ヤマトタケルが火攻めにあったこの事件に由来すると言われている。

相模の浦賀水道を船で航行中には急に海が荒れ始め、同行中のオトタチバナヒメが海の神に身を授けることでようやく海が静まり、事なきを得ることができた。

熱田への帰還

東征を終えて尾張の熱田に戻って来たヤマトタケルは約束通りミヤズヒメと夫婦になる。
しかし、神のご加護に頼らず自らの力を証明したいヤマトタケルは草薙の剣を置いて大和へ帰還することにした。
その後、草薙の剣は熱田神宮い祀られたまま現在に至るとされている。

(出典)大人なび−教養より「古事記が伝えるヤマトタケルの功績や人物像、ホツマツタエが伝える別の姿も紹介」

 

 

大蛇を退治した英雄スサノオ

が得た剣が、その後、時を経て

熊襲・出雲・東国征伐の英雄ヤマトタケル

へと伝わり、現在では、天皇家代々に伝わる三種の神器として愛知県・熱田神宮に納められている。

 

スサノオ」という神様も、「ヤマトタケル」いう人も、武蔵国(埼玉県・東京都)にとって、伝説のヒーローであることは、間違いなさそうだ!!

共通点.其の弐:凶暴な一面があった! 

 

スサノオの“凶暴ぶり“

古事記にはスサノオについて、こんな凶暴ぶりがあったと記してある。

天照大御神と須佐之男命

(前略)

※誓約により、天照大御神と須佐之男命から三柱の女神と五柱の男神が生まれる

すると、須佐之男命は「自分の 心が明るくいから、たおやかな 女の子が生まれたのです。 だから私の勝ちだ」と仰って、勝ち誇ったように、天照大御神の田の畔を壊し、溝を埋め、しかも大嘗(新嘗祭。神に新穀を供える神事)を行う神聖なる御殿に糞をまき散らして、高天原で大暴れしました。

須佐之男命のひどい行いにもかかわらず、天照大御神はこれをお咎めにならず、次のように仰せになって弟をおかばいになりました。

「糞をまいたというのは、酔って吐いたものでしょう。また田の畔を壊し、溝を埋めたのは、土地が惜しいと思ったからでしょう」

しかし、弟の悪態はひどくなる一方でした。 天照大御神が機織小屋で神の衣を織らせていると、須佐之男命はその小屋の屋根に穴をあけ、尻の方から皮を剥いだ馬を落とし入れました。その時、機織女はびっくりして、梭(機の横糸を通す道具で、陰上(女性器)を突き刺して死にました

これには天照大御神も黙ってはいらっしゃいませんでした。

天の石屋戸(高天原)にある洞窟の入口を塞いでいる岩)をお開きになって、洞窟の中にお引き籠りになったのです。

(引用)現代語古事記 神々の物語 竹田恒泰 著 学研M文庫 P73−79

大嘗(新嘗祭)を行う神聖な神殿でよくもまあ出来たものだと思いますし、屋根に穴あけて皮を剥いだ馬を落とすとか…もう発想の外を行き過ぎている。そして、機織をしている女性が亡くなるという、もう我慢ならない!!っという姉の天照大御神が洞窟に籠りたくなる気持ちもわかりますよねo(`ω´ )o

母親に会いたくて泣いちゃったりする面もあったようですし、こんな凶暴な面ばかりではなく、八岐大蛇を退治して英雄になるような正義感も持っているのですから、神様とは言え、人間味がある気がして面白いとは思いますね。

ヤマトタケルの“凶暴ぶり“

ここに、父である景行天皇とのやりとりがあります。

※ここでいう小碓命がヤマトタケルのことで、兄は大碓命です。

大碓命は、朝と夕方に行われている宮中での行事に真面目に参加しませんでした。そこで、天皇がその弟の小碓命に「どうしておまえの兄は、朝夕の大 御食に出席しないのか。おまえが兄を教え覚しなさい」と仰せになりました。 63 第十二代 景行天皇 ところが、それから五日経っても、兄の大碓命は行事に参加しません。 そこで天皇は小碓命に「どうしておまえの兄は、まだ来ないのか。おまえはまだ兄を教え覚していないのか」とお尋ねになると、小碓命は「すでに言い聞かせました」と申し上げました。

そこで天皇が「どのように言い聞かせたのか」とお尋ねになると、 小碓命は 「明け方に兄が厠に入った時、待ち構えてつかみ潰して、手足を引き裂いて、 袋に包んで投げ捨てました」と申し上げました。

それをお聞きになった天皇は、その御子の猛々しく荒い性格を恐れ、 小碓命 を遠ざけるための口実として、次のように命ぜられました。「西の方に熊曾建 が二人いる。これはまつろわぬ者である。 その者どもを討て」。熊曾は西の辺境の地、また建は勇猛な人を意味します。

小碓命は、この時はまだ、その髪を額の上で結う少年の髪型をしていました。

何も知らない小碓命は、叔母の倭比売命から衣装を賜わり、剣を懐に収めて、 勇んで出発しました。

【解説】大和を追放された小碓命

父から、兄を教え覚すように言われた小金は、兄の手足を引きちぎっ 袋に包んで投げ捨てます。 あまりに衝撃的な場面で、戸惑う人もいることでしょう。

父が言った「教え覚す」を、小碓命が自分なりに実行した結果がこれだったのです。

景行天皇が驚愕なさったのは当然です。これほど荒い性格の持ち主が、いつの日ある自分に刃向かうことをご心配になったのではないでしょか。天皇は、 大和から追放する口実として、西征を命ぜられました。 小碓命は自分が追放されたことにまだ気付いていません。 勇んで西に出立しました。悲しい物語が始まります。

(引用)現代語古事記 天皇の物語 竹田恒泰 著 学研M文庫 P62−65

太字の部分を読むと分かる様に、中々の凶暴ぶりがわかるでしょう。

文言をそのまま読むとゾッとしますね( ;∀;)

でも、幼くしてそんな凶暴さもありつつ、父の命を忠実に聞き、西へ東へ統治して行くのだから、やはり天皇である父に認めてほしい!という思いがあったのでしょう。が、天皇からは我が子ながらこの凶暴さ故に遠ざけられ、東国征伐を直接報告する事なくに志半ばで力尽きたヤマトタケルは、なんとなく悲劇のヒーローにも感じます。

共通点.其の参:妻に恵まれた!

昔々は、一夫多妻だったので、数人の妻がいたが、その中でも記紀に残る印象的なエピソードとともにスサノオとヤマトタケルの妻を紹介したい。

  • スサノオの妻:絶世の美女 櫛名田比売(クシナダヒメ)

※奇稲田姫(クシイナダヒメ)・稲田姫(イナダヒメ)ともいう

  • ヤマトタケルの妻:夫婦愛の女神 弟橘比売命(オトタチバナヒメ)

※弟橘媛(オトタチバナヒメ)とも書く

 

スサノオの正妻 “櫛名田比売(クシナダヒメ)“

スサノオの正妻は、クシナダヒメであるが、出逢いは八岐大蛇退治の時。

退治に成功したスサノオは、クシナダヒメと結婚し、出雲の地(須賀)に自分の宮を作り、暮らしていくことになる。

が、この後にまたまたいい話がある!(と私は個人的に思う^^;

スサノオがクシナダヒメを想って、詠んだ和歌がちょっとステキなのだ(๑>◡<๑)

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 

八重垣作る その八重垣を

「盛んに沸き起こる雲が八重の垣をめぐらしてくれる。新妻を守るために八重垣をめぐらすことよ。あの素晴らしい八重垣よ」

これは日本最古の和歌として今に伝えられている。

あっちなみに、武蔵一宮氷川神社の御祭神の三柱のうちの二柱は、スサノオとクシナダヒメで、公式サイトにはこうあります。※ここに出てくる「稲田姫」はクシナダヒメのことです。

−出雲神話にみる夫婦神の物語−

須佐之男命は高天原から出雲の鳥髪という地に降り立ちました。
そして八人いた娘を毎年1人ずつ八岐大蛇(やまたのおろち)に食べられ、
今年は最後に残った稲田姫が食べられてしまうと泣いている足名椎(あしなづち)、手名椎(てなづち)という夫婦に出会います。
須佐之男命は八岐大蛇を退治した暁には稲田姫を妻とする約束を交わします。

みごと八岐大蛇を退治し稲田姫を妻として迎え、宮造りする地を探していたところ、
須賀という地で心がとてもすがすがしくなり須賀宮という宮殿を建てました。
そこで須佐之男命は和歌を詠みます。

八雲たつ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を

この和歌は須佐之男命は出雲国簸川(ひかわ)の川上で目出度く稲田姫命を妻に迎え、
新居として須賀宮を造られてお住まいになった時、御殿の周りに瑞雲(ずいうん)が湧き上り七重八重に立ち込めたので、
お悦びのあまりお詠みになられた和歌です。

須佐之男命そして稲田姫命の夫婦の神を祀る氷川神社において、
夫婦の誓いを立て神前結婚式を挙げることは誠に目出度く麗しきことでございます。

出典)武蔵一宮氷川神社公式サイト 氷川神社の結婚式より

武蔵一宮氷川神社にこのような掲示がありましたよ♪

 

ヤマトタケルの妻 “弟橘比売(オトタチバナヒメ)“

ヤマトタケルには、何人も妻がいたが、東征の際に、印象深い妻といえば、このオトタチバナヒメだろう。と私は感じている。

「古事記」から引用すると…

倭建命の東征

(前略)

そこからさらに東にお進みになり、走水海(浦賀水道、東京湾の入り口)をお渡りになろうと思し召すと、その海峡の神が波を起こし、船を翻弄してぐるぐるとまわしたため、お渡りになる事ができませんでした。

そこで、倭建命の后(きさき)の弟橘比売命が「私が御子い代わって海の中に入りましょう。御子は遣わされた任務を全うし、天皇に報告なさらねばなりません。」と申し上げると、海に入ろうとして、菅畳八重(幾重にも重ねた菅を編んだ敷物)、皮畳八重(幾重にも重ねた毛皮の敷物)、絹畳八重(幾重にも重ねた絹の敷物)を波の上に敷いて、そこに下りました。

すると、荒波は自然と収まり、船を進めることができたのです。この時、弟橘比売命は次のお歌を詠みました。

さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも

相模の野原に燃ゆる火の、その火の中に立って、呼びかけて下さった君よ。

(「さねさし」は「相武」にかかる枕詞)

 そして、7日の後、弟橘比売命の櫛が海辺で見つかりました。そこで、その櫛を取り、御陵を作って納め置きました。

(中略)そして、その坂に登り立ち、三度ため息をおつきになって「吾妻はや(我が妻よ)」と仰せになりました。ゆえに、その国を名づけて阿豆麻(東:あずま)というのであす。

(後略)

(引用)現代語古事記 天皇の物語 竹田恒泰 著 学研M文庫 P72-74

オトタチバナヒメは、夫・ヤマトタケルを想いこんな歌を詠んでいる。そして、このオトタチバナヒメは自分の身に代えてでも、ヤマトタケルの任務を成功させようとした。その想いは「吾妻はや」と言ったヤマトタケルに届いていたんだと思うと、東征を成し遂げたのはこの妻あっての成功だと思っていたんだろうなと思います。

夫への愛を貫いたオトタチバナヒメは、今の神奈川・千葉・東京にある神社にヤマトタケルと一緒に祀られている。

「ヤマトタケル」と「オトタチバナヒメ」を祀る神社

神社や神々についてよくまとめているサイトってたくさんあって驚きましたが、今回はこちらのサイトを参考にさせていただきました。神様のイラストなども多くてとても見やすいサイトですので、皆さんも神社にお参りに行く際は参考になさってくださいね♪

(参考)日本の神様と神社|神さまのご利益と神社紹介

 

まとめ

  • 共通点.其の壱:ヤマトタケル」と「スサノオ」は、武蔵国の伝説のヒーローだった!
  • 共通点.其の弐:「ヤマトタケル」と「スサノオ」には、凶暴な一面があった!
  • 共通点.其の参:「ヤマトタケル」と「スサノオ」には、最愛の妻がいた!

 

今回、「埼玉県内にある武甲山をスニーカーで登る!」という事について調べているうちに、

「武甲山山頂にある御嶽神社の御祭神がヤマトタケルだった」

「あれっ、ヤマトタケルって何した人だったっけ?」

といういうところから、古事記まで読み返すことになりました。

が、その結果、これからも各地の山を歩くことになるが、今までよりも「感謝」をしていく事ができそうだ。「八百万の神々」のおかげで山に登っても無事に帰って来られて今も元気に過ごせているのだと思うと、色んな神様にお詣りして、御朱印をいただく旅に出るのもよさそうだ!と、趣味が増えそうな予感がしている私です。

埼玉で「ヤマトタケル」と「スサノオ」をお祀りするオススメ神社5選

神社って、結構山にあったりしますよね。あと、お寺って、「総本山」とかいうように平地にあっても「◯◯宗 ◯◯山 ◯◯寺」とか言いますよね。 昔から「八百万の神」を言うようにありとあらゆるところに神様がいると言うことが日本の信仰だったりして、あっ!山岳信仰というのもありますね。昔は山に登るということは、それだけで信仰のようだろうなあ〜。

私の話はこのくらいにして、埼玉県内にある「ヤマトタケル」と「スサノオ」をお祀りしている神社をそれぞれご紹介したい。って言っても、結構たくさんあるので、3つに絞りました(๑>◡<๑)

山歩きとともに、近くの神社にお詣りしてみてはいかがでしょうか♪

ヤマトタケルを祀るオススメ神社3選〜埼玉編〜

「ヤマトタケル」は、表記として「日本武尊」だったり、「倭建命」だったり、「小碓命(おうすのみこと)」だったりしますが、全て横並びにしてみて、埼玉県内にある「ヤマトタケル」を祀るおすすめ神社を3つ挙げてみました。

この3つの神社は、武甲山・三峰山・御嶽山の山頂、又は近い場所にあり、それぞれ山歩きを楽しむことができるという事を基準に選ばせてもらった。そして、どの山も登った後のお楽しみ(お風呂やグルメなど)も比較的近くにあるのが魅力(๑>◡<๑)

武甲山御嶽神社(埼玉県秩父郡横瀬町)・武甲山

もうここは秩父のシンボルだからね。是非登って、参拝しましょう♪

御祭神 日本武尊/倭健命(やまとたける)

男大述尊(おほどのすめらみこと)※[別称]第26代 継体天皇(けいたいてんのう)

広国押武金日天皇(ひろくにおしたけかなひのすめらみこと)※[別称]第27代 安閑天皇(あんかんてんのう)

御利益 必勝祈願、火防守護 難局打開
御由緒 日本武尊が東征した時に、武甲山の山頂に武具を埋めて関東鎮護をしたことに関わるとされており、欽明天皇の御代に日本武尊を主神とし、男大述尊、武金日天皇を合わせお祀りになったことに始まるとされる。
所在地 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬・武甲山山頂
アクセス 山頂までは、登山道から自分の足でしか行けません。オススメコースは、分かりやすいサイトがあったのでそちらを参考にしてくださいね♪
参考 (参考)西武鉄道 西武鉄道で行くハイキングコース24選より

(参考)西武鉄道 武甲山山頂への道

(参考)ぶら〜りよこぜ 横瀬町観光Webサイト 武甲山・大持小持登山コース

(参考)ぶら〜りよこぜ 横瀬町観光Webサイト 武甲山・持山寺跡登山コース

(参考)神社人より 「武甲山御嶽神社」

武甲山は、スニーカー(ワークマン)で登れる!っていう記事も書いたので、気になる方はこちらも参考になったら嬉しいですね。

武甲山はワークマンのスニーカーで登れる4つの理由を理学療法士目線で解説してみた!

 

三峯神社(埼玉県秩父市)・三峰山

すみませんm(_ _)m 「ヤマトタケル」は三峯神社の御祭神ではないのですが…東征の際に、「ヤマトタケル」が「イザナキ」「イザナミ」の二神をしのびお祀りされたのだとか。

なので、めちゃくちゃ重要人物ですし、今やパワースポットとしても多くの参拝客が訪れる場所なので上げさせてもらいました(๑>◡<๑)

御祭神 伊弉諾尊/伊邪那岐命(いざなぎ)
伊弉冉尊/伊邪那美命(いざなみ)
[配祀]造化三神(ぞうけのさんしん)
−天御中主命(あめのみなかぬし)
−高御産巣日神/高皇産霊神 (たかみむすび)
−神産巣日神/神皇産霊尊(かみむすび)
[配祀]天照大神(あまてらすおおかみ)
御利益 火防守護、盗難除、厄除、家内安全、恋愛成就、良縁祈願、芸能上達、子孫繁栄、安産祈願、健康長寿
御由緒 景行天皇の御代(71年〜130年)、日本武尊の東征の際、碓氷峠に向かう途中で三峰山に登り、伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したことに始まると伝えられる。その後、景行天皇が東国巡行の際に、社地を囲む白岩・妙法・雲採の三つの峰が特に秀でていたため、「三峯宮」の社号を授けたと伝える。
所在地 埼玉県秩父市三峰298-1
アクセス (参考)三峯神社 交通案内より
参考 (参考)秩父・三峯神社公式サイトより

 

 

金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町二ノ宮751)・御嶽山

まだ行った事がない神社なので、知らなかったのですが、武蔵二宮ということで、調べてみますと、場所もいいし、なんというか「ビビっと」来たので是非参拝してみたい!!という期待も込めて選ばせていただきました。もう「神川」って、地名最高でしょ!!

御祭神 天照大神(あまてらすおおかみ)
素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお)
[配祀]日本武尊/倭健命(やまとたける)
御利益 所願成就、厄除、除災招福、武運長久、火防守護 他
御由緒 日本武尊の東征の帰途、伊勢の神宮にて倭姫命(やまとひめのみこと)より賜った火鑽金(火打石)をこの御嶽山に奉納したことに始まるとされる。
所在地 埼玉県児玉郡神川町二ノ宮751
アクセス (参考)武蔵国二宮 金鑚神社公式サイト 鎮座地より
参考 (参考)武蔵国二宮 金鑚神社公式サイトより

 

スサノオを祀るオススメ神社3選〜埼玉編〜

とにかく「スサノオ」は英雄ですから、祀る神社が多いことに驚きました!埼玉県内には各地大小の違いはあれど、「氷川神社」という名の神社が存在しますし、社名は違くても「スサノオ」は日本中各地の神社に祀られています。

もちろん全て行って選んだわけでもありませんが、山歩きにつながる要素があるなっと思うオススメ3選です。

武蔵一宮 氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)

本当に清々しい神社だったなあと思います。山歩きではありませんが、車ではなく、公共交通機関ででかけて、参道を一の鳥居から歩いてみると、山へ行けない時のいい運動になりますよ!

確か、JR大宮駅から歩いて20〜25分くらいだったと記憶しています。

一の鳥居からとなると、JRさいたま新都心駅で下車して、G先生調べで、駅東口から徒歩35分だそうです。山をあることに比べると平地だし、つまらなく感じる方もいるかもしれませんが、朝イチの参道や神社は、朝イチの山歩きくらい気持ちがいいものですよ!空気が違う気がします。

御祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
御利益 家内安全 商売繁昌 交通安全 縁結 安産 災難除 心願成就 他
御由緒 氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創立と伝えられます。第十二代景行天皇の御代、日本武尊は東夷鎮定の祈願をなされたと伝わっております。第十三代成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となって当社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威は輝き格式を高めたと伝わります。第四十五代聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、第六十代醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預かり、又臨時祭にも奉幣に預かる等、歴朝の崇敬を殊の外厚く受けてまいりました。武家時代になっても、鎌倉・足利・北条・徳川氏等相次いで当社を尊仰し、社殿の再建や造営を行っております。
所在地 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
アクセス (参考)武藏一宮氷川神社公式サイト アクセスより
参考 (参考)武藏一宮氷川神社公式サイト

 

川越氷川神社(埼玉県川越市)

一度訪れたことがある川越氷川神社。縁結びで有名な神社だということは行ってから知りました。

ここは観光地でもあるので、賑やかだった印象がありますが、山歩きが好きな私は、川越の街の中もできるだけ歩いてみて回るというのが好きです♪疲れたらバスも頻繁に走っていていつでも乗れるし、観光にプラスして山歩きの体力が付きそうな街だなあと思います(^.^)

しかも、御祭神が「スサノオ」と「クシナダヒメ」(ここでは別名で記載)の夫婦神だけでなく、「クシナダヒメ」のご両親である「アシナヅチ」と「テナヅチ」の夫婦神も、「スサノオ」と「クシナダヒメ」の子孫である「オオナムチ」も祀られており、もうなんかすごくファミリー神社感ありますよね!賑やかな割にはアットホーム感があった印象が残っていますが、御祭神の影響ですかね(*^^*)

御祭神 素盞鳴尊(すさのおのみこと)

奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)

脚摩乳命(あしなづちのみこと)

手摩乳命(てなづちのみこと)

大己貴命(おおなむちのみこと)

御利益 縁結び 家族円満 夫婦円満
御由緒 川越氷川神社は今から約千五百年前、古墳時代の欽明天皇二年に創建されたと伝えられています。室町時代の長禄元(1457)年、太田道真・道灌父子によって川越城が築城されて以来、城下の守護神・藩領の総鎮守として歴代城主により篤く崇敬されました。 江戸時代に入ってのちも歴代の川越藩主より社殿の造営や特別の計らいを受けました。現在の本殿には緻密な彫刻が施されており、県の重要文化財となっています。 また、昔より縁結びの神様としての信仰を集め、人々のご縁を取り持ってまいりましたのは、お祀りしている五柱の神様(ご祭神)にあります。
所在地 埼玉県川越市宮下町2-11-3
アクセス (参考)川越氷川神社公式サイト 交通案内より
参考 (参考)川越氷川神社公式サイト

 

金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)・御嶽山

はい!また登場の金鑚神社です。この神社の名前は「かねさねじんじゃ」と読むらしいのですが、読めませんでした。

ここは、「スサノオ」のみならず、「ヤマトタケル」も祀っている神社なので、被っていますが再度書きました!

私が今行ってみたい神社TOP3に入る神川町の「金鑚神社」要チェックや!!

そう!御嶽山にも行きたいのです!

御祭神 天照大神(あまてらすおおかみ)
素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお)
[配祀]日本武尊/倭健命(やまとたける)
御利益 所願成就、厄除、除災招福、武運長久、火防守護 他
御由緒 日本武尊の東征の帰途、伊勢の神宮にて倭姫命(やまとひめのみこと)より賜った火鑽金(火打石)をこの御嶽山に奉納したことに始まるとされる。
所在地 埼玉県児玉郡神川町二ノ宮751
アクセス (参考)武蔵国二宮 金鑚神社公式サイト 鎮座地より
参考 (参考)武蔵国二宮 金鑚神社公式サイトより

 

 

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